SVP東京15周年スペシャルダイアローグ(後編)日本にもたらしたインパクトとは?
■本記事について
先日登壇したSVP東京の15周年スペシャルダイアローグ。
本記事では、前編に引き続き、ダイアローグ第1部 トークセッションでお話した内容を振り返りながら記載します。
前編では、日本と世界の変化を見てきました。(前編はこちら)
後編では、SVP東京が日本にもたらしたインパクトについて、語りたいと思います。
■前編の最後に掲載した図
以下は、前編の最後に掲載した図です。
ここに、SVP東京の成長を
- 組織(組織の変遷)
- 仲間(パートナー数)
- 海外(SVPインターナショナルとの関係性)
- 協働(投資協働先の変遷)
- 企業(パートナー企業とのコラボレーションの状況)
の5つの視点でプロットしました。
その図がこちらです。
▼組織
SVP東京は、任意組合(2013年)から合同会社へ(2007年)、そしてNPO法人へ(2012年)と3回、法人形態を変更しています。
こうした法人形態の度重なる転換はとても珍しい例なのではないかと思います。
(念のため書き添えておくと、熟議を経て、その時々に必要な法人形態を選択されてきた結果だと理解しています。)
▼仲間
ネットワークミーティング(NWM)と呼ばれる、パートナーや起業家が相互に出会う場をスタートされたのが2003年。
回を重ね、2016年には80回を突破していると伺っています。これも凄いことです。
▼海外
前編で記述した通り、SVPはそもそも北米に端を発する世界的なネットワークですが、SVP東京がインターナショナルに加盟したのは2006年。
翌年には、日米ソーシャルファイナンスフォーラムが開催され、この時も登壇させて頂きました。
この時は第2部で、当時まだウィルキャピタルマネジメントにいた影山さんや、カーライルにいた高槻さんと一緒に登壇させて頂いたのでした。
懐かしいですね。http://svt.seesaa.net/article/60634140.html
▼協働
2005年に最初の投資協働先となったのがフローレンス。
今回のダイアローグに一緒に登壇させて頂いたマドレボニータさんも、ごく初期に投資協働先に採択されたそうです。
その後、2012年にはケアプロに出資。
それまでは精神としては「投資」という名称ながら、機能としては「助成」でしたので、SVP東京としては一つの新しいチャレンジだったのだろうと思います。
*SVP東京では、社会的なリターンを期待して、ソーシャルベンチャーにお金を投じます。
しかし「投資」といっても、経済的・金銭的なリターンを期待しているわけではありません。
また投じた資金の回収を意識して投資先を選定するわけでもありません。
私自身は、「不確実性はあれど、そのお金を投じることで、課題解決と価値創造のインパクトが高められると判断できたソーシャルベンチャーに対して、資源(お金と人的資源)を投じる行為を「投資」と呼んでいるのではないか」と理解しています。
2017年には投資先が50件を超え、15年間で大きく生態系が広がっていったことが実感できます。
▼企業
企業とのコラボレーションも広がっています。
最初のコーポレートパートナーは新生銀行(2008年)。
その後、UBS証券(2009年)が続きます。
2013年には、アクセンチュアと三菱UFJリサーチ&コンサルティング(MURC)との連携を開始。
2013年当時、私はMURCの研究員でして、同僚と共に、SVP東京の力を借りながら、社会貢献プログラムを作り上げた側です。
さらに2015年にはテンプホールディングス(現パーソルグループ)、そして2018年からは楽天との協働がスタートしています。
■SVP東京が試行錯誤した15年は、日本のソーシャルベンチャーにとっても試行錯誤の15年
ここで改めて、上のブロック(日本と世界の変化)と、下のブロック(SVP東京の軌跡)を照らし合わせてみましょう。
SVP東京が誕生した2000年代前半、先進国は9.11、アメリカ同時多発テロを皮切りに、テロとの戦いに突き進んでいきました。
2005年のハリケーンカトリーナは、貧困や格差が天災と結びついた時に、先進国の地域コミュニティがどんなに脆弱かを白日の下にさらしました。
リーマンショック後、金融の在り方がもう一度見直されたことは、社会的インパクト投資への世界へと、資金と人材が還流するきっかけとなったと思います。
ベンチャー・フィランソロピーへの興隆は、こうした出来事と深い繋がりがあります。
日本に目を向ければ、ごくごく「稀」な存在だった「社会課題の解決を第一の目的としながら、事業性を有し、組織として自らも成長する事業」が可視化され、その概念やコンセプトに(多少の揺れはありながらも)名前が授けられ、そうした存在が増加し続けた15年でした。
NPO法によって、市民公益概念が確立された時期でもあります。
公益法人制度改革によって、日本の「公益」の概念に大きな転換が起こった時期でもあります。
東日本大震災が起こり、他にもたくさんの自然災害が起こり、寄付やボランティアに今までになく注目が集まった時期でもあります。
クラウドファンディングやコミュニティ財団など、新しい資金の流れを生み出そうとする民間組織が興隆した時期でもあります。
■3代表の足取り
トークセッションではさらに、現在までのSVP東京の3代表の足取りを重ねました。
道なき道を切り開いた初代の井上さん。
図中の緑色の部分にあたります。
SVP東京としてのコンセプトを確立し、強くてしなやかで、暖かくて優しい、そんなSVP東京のコミュニティの基礎を築いた人だと思っています。
そんな井上さんからバトンを引き継いだ2代目岡本さん。
図中の水色の部分にあたります。
井上さんという、大変なエネルギーの持ち主から、SVPのマインドを引き継ぎ、しかしそれにこだわり過ぎることなく、インパクトを高めることと団体に伴走することのバランスを追求した方だと思います。
そして3代目藤村さん。
図中の紫色の部分にあたります。
とにかく人の話をよく聞こうとする姿勢が何より印象的です。
SVP東京で活動する一人ひとりのパートナーが、あるいは投資・協働先の起業家が、スタッフが。
その人自身が成長できる空間と関係性を築くことに腐心してきた、SVP東京の現在のビジョン・ミッションを最も体現した人だと思います。
年表を見て頂ければわかるように、SVP東京ではここ数年、コーポレートパートナーが増えつつあります。
そのコミュニケーションの役回りも担われ、「志ある個人が繋がるSVP東京」という役割を、「組織を超えて、人が持つ力を社会に還元する場や機能を提供するプラットフォームへ」という機能の拡張を支える役回りも担われているように感じます。
■SVP東京が日本社会にもたらしたもの
SVP東京が生み出しているものとは何か。
私はそれは、2つあると思います。
一つはソーシャルベンチャーの成長です。
もう一つは、パートナーの成長です。
SVP東京は、2つのミッションを掲げています。
このミッションの通り、投資協働先となるソーシャルベンチャーが成長することと、パートナーが「肩書を離れ、自立した自由な個人として歩き始めるための道場」としての機能を果たしているのだと感じます。
さらにもう一歩引いて考えてみます。
この15年を振り返って、SVP東京という存在が、日本社会にもたらしたインパクトとは何だったのか。その意義はどこにあったのか。
私は2つあると思います。「開拓」と「実証」です。
まずは「1.開拓」について。
SVP東京が生まれた15年前、日本社会には「社会人が自ら資金を出して、ソーシャルベンチャーを支援する」という組織はありませんでした。
「伴走支援」という言葉や概念も、ほとんど使われていませんでした。
SVP東京の意義、日本社会へのインパクトとは、「何もなかったところに、社会人が自分で資金を出し合い、ひとつのコミュニティを作って、投資先を選び、伴走する」という取り組みを始めたことです。
「まだよくわからないもの」を、まず始めようと思った。このこと自体が非常に意義深いことだったと思います。
次に、「2.実証」について。
SVP東京のようなコミュニティが、たくさんの共感を得て、まずは15年続き、そこから多くのOB・OGが排出されていること。
お金と知恵を出し合う、暖かくて前向きな大人のコミュニティが形成され、維持できるのだということを、実証したこと。
そして、投資協働先の中に、日本を代表するソーシャルベンチャーが誕生していること。
このことは、15年続いたからこそ、語れるSVPの価値であり、意義だと思います。
■SVP東京の外側に拡張していった価値
加えて言えば、「パートナーとソーシャルベンチャーで構成されるSVP東京のコミュニティ」の外側に拡張していった価値も存在すると思います。
ひとつは企業とのコラボレーションです。
SVPの歴史、後半からは、企業とのコラボレーションが格段に増えています。
これによって、「個人として10万円という資金を投じるわけではないが、自らが所属する組織を通じて、SPVの持つマインドを共有する人たち」が増えていきました。
もう一つは、他地域・他組織への広がりです。
これには注釈が必要でしょう。
15年が経過して、SVP東京が、例えば「SVP大阪」であるとか、「SVP九州」のように、横展開したわけではありません。
しかし、そのコンセプトと実践に励まされ、刺激を受けて、独自の成長を遂げたものがいくつもあるように思います。
例えば私は、世田谷コミュニティ財団の代表理事をしていますが、財団設立から遡ること5年前、SVP東京の当時の代表だった岡本さんに、世田谷でのイベントに登壇頂き、そのコンセプトと面白さを語って頂きました。
またMURCの研究員だった時代には、社内のプロボノプログラムという形で、SVP東京にアドバイス頂きながら、コミュニティをつくることに腐心していました。
私自身は、SVP東京のパートナーになったことはありませんが、その取り組みに触れ、学び、別の形で昇華しようと、自分なりのチャレンジをしているのではないか。
意識はせずとも、多くの刺激を得てきたといえるのではないか。
今回、このプレゼンを作りながらそう感じました。
もちろん、実際にはそのほかにも多くの実践例に触れていますので、その意味では様々な組織から得た刺激が、自分の中で組み合わさったり、熟成する中で生まれた化学反応であると言えます。
また意識して真似ようとしているわけではありません。
地域によって、組織によって、前提条件や構成員、意識や知識、取組みへのレディネスも異なります。
よって実際の取組み内容はSVP東京のそれと大きく異なります。
しかし、改めて振り返ってみると、とても大きな刺激を受けていたんだな、と。
そして、刺激を受けることができるのは、そこに実践例があったからなんだろうな、と思います。
■ポジティブな共感の再生産の場
SVP東京が掲げる言葉のうち、とても好きな言葉が
SVP東京とは「つながりであり、ひろがりであり、ポジティブな共感の再生産の場である」という言葉です。
そして、ポジティブな共感の再生産の場が、日本社会にじわじわと広がっていることを、喜びたいなと思うわけです。
第3部ではパネルディスカッションに登壇させて頂いたのですが、長くなってしまいましたので、そのことも含めて、渋谷のラジオ(特別編)で書きたいと思います。
あわせて、「渋谷のラジオ特別編」では、私がこんなにも手の込んだ、長い、SVP東京の軌跡を追ったスライドをつくろうと思ったのか、その意図もお伝えしたいと思います。
続きはこちらからどうぞ!
水谷衣里