徹底的な当事者性。その凄さを知ってほしい。-南医療生協論文 公表しました!

■レポート公開のお知らせ

愛知県名古屋市に本拠地を構える南医療生活協同組合(南医療生協)。この南生協に関するレポートを公開しました。

リンク先はこちら。

「地域福祉の担い手に関する一考察〜南医療生活協同組合の実践から」

http://www.murc.jp/thinktank/rc/quarterly/quarterly_detail/201603_71

2010年を過ぎたあたりから、自分なりに調べてきたこの取り組み。誰に頼まれたわけでも、もちろん仕事になったわけでもありませんが、あまりに面白すぎて、「知りたい欲求・伝えたい欲求」に突き動かされ、書いたレポートです。 




<ウェブサイトで全文ご覧頂けます>

「地域で支え合う」は、言葉にするのは簡単です。

でも都市部では繋がりの激減が、地方部では圧倒的な人口減が背景にあって、そんなに簡単にはいかない。

そんな中にあって、「南医療生協」の取り組みは、常識を圧倒的に超えていく凄みがあります。だからそれを素直に伝えたい、と、思ったわけです。

自分としては、かつて三鷹の住民協議会から市民参加のプロセスをしつこくしつこく調べていた頃から変わらない、コミュニティ形成のプロセスへの問題意識・関心が根底にあります。

だからこそ書いたこの論文。




<南生協病院ロビー付近の様子>

■偶然の出会い、出産を機に深まったご縁と関心

南医療生協のことを知ったのは2000年代前半。実家が近いこともあり、「ずいぶん近くに面白い生協があるんだな」くらいに思っていました。

その後、妊娠・出産。その時せっかくだからと選んだのが南医療生協でした。

しかも、理由あって、出産前後は南生協病院に入院。それならば、とその期間中は、病院内のボランティアさんを捕まえてはお話を伺う毎日でした。

例えば、

‐朝5時半に起きて、病院の周囲の花や木に水を上げている緑化ボランティアの男性にお話を聞いたり。

‐ご自身もがんからのサバイバーである、終末期ホスピスにボランティアに来ている女性に会いに行ったり。

‐病院内の図書室を利用するついでに、図書室ボランティアさんにお話を伺ったり。




<入院していた時に撮影した写真。夕焼け空が綺麗でパチリ。>

産後落ち着いてからも、名古屋の実家に戻るたびに、施設にお邪魔したり、助産所に行くついでにお話しを聞いていました。

そういえば産後最初にいったヒアリングも東海市にある「生協のんびり村」だったっけ。父に運転してもらって行った、良い思い出です。



<南生協病院正面玄関付近の外観。娘はこの病院産まれです。(写真撮影時は3歳)> 

■面白さの核にあるのは「徹底的な当事者性」

前置きが長くなりましたが、南医療生協の面白さをひと言で言えば、徹底的な当事者性にある、と思っています。自分なりの関心領域に引き寄せると、キーワードは、Community engagementと社会的投資。 

 1)Community engagement

南医療生協の場合、グループホームをはじめとする地域福祉の施設建設にあたっては、「施設がほしい」→「では南医療生協が作ってあげましょう」とはなりません。

欲しいのならば、まずその地域の組合員で話し合い、周囲を巻き込み、お金も場所も人も、組合員で探し・集めた上で具体的な場所を作り上げていく。

その過程で中心的な担い手が生まれ、より活動が活発になっていく。

 つまり、

「家族が周囲が介護状態になって困った」

「近所の人が困っているから何とかしてほしい」

という、言わば「客体」としての組合員はそこでは通用しないわけです。地域での小さな実践を積み重ねながら、市井の住民が徐々に「主体」へと転換していく。 そしてその中から運営の担い手が登場していきます。

1つひとつのアクションは小さくても、Community engagementが果たす力の強さを感じます。




<愛知県東海市にある生協のんびり村外観。見た目からは「施設」という印象は全く持ちません。ちなみ広大な福祉村の建設地は組合員からの申し出で貸与されています>

 2)社会的投資

南医療生協の組合員のみなさんが素でやっていることは、「それって社会的投資って言うんじゃない?」と思うことばかり。

レポートの中では、名古屋市南区星崎地区にある「グループホームなも」や、愛知県東海市にある「生協のんびり村」の事例を紹介していますが、それ以外にもこうした事例(=建設地や物件を組合員が探し、出資金を集め、その取り組みに皆で『投資』をしながら必要な場を作り上げていく)が無数に生まれています。 

ちなみに「グループホームなも」の事例では改修費1千万円を組合員からの出資で調達。「生協のんびり村」の事例では6,000万円を調達

今では1億円以下の建設費であれば全額を組合員出資で、それ以上の金額を必要とする施設建設の場合は30%を組合員からの出資で賄うことが、ある種の経験則として原則化されています。  




<昨年オープンした「南生協よってって横丁」。建設には組合員からの出資が活用されています。>

南医療生協の組合員のみなさんも、職員のみなさんも、理事のみなさんも、きっと「社会的投資」という言葉はご存知ではないと思います。

それでも取り組んでいらっしゃる行為は「社会的なニーズとそこに住む住民の意志に支えられた投資」なわけです。

「生活協同組合」という組織形態も、こうした行動原理を支える一要因になっているとは思います。しかしすべての生協がそうした取り組みができているわけではないと聞きます。

やっぱり根底にあるのは「徹底的な当事者性」ではなかろうかと思うのです。

ここでは「社会的投資」は、不断のプロセスの結果であって、目的ではない。そこがまた凄いことだと思うのです。 


 
<医師や看護師、介護職など、不足しがちな働き手の確保も、組合員参加で取り組まれています>


■ではその「徹底的な当事者性」はどう生まれたのか

それこそが問題になるわけです。レポートではそこを考察しています。

だからタイトルは「地域福祉の担い手の形成条件に関する一考察」としています。

‐伊勢湾台風の時代(1950年代末)から始まった、南医療生協という取り組みが、2000年代にどう変化していったのか。

‐「医療」から「福祉」にウイングを広げたことが、活動にどう影響していったのか。

‐なぜ組織が変化できたのか。

そこに南医療生協の面白さがあると思っています。




<福祉村の中にあるコミュニティカフェ。手作りのお地蔵さまが微笑んでいます。>

 ■まとめ:「日本型セーフティネット」が崩壊してしまった今だからこそ

まとめ、です。

恐れず大きく振りかぶって言えば。

日本という国は、「家族」と「企業」にセーフティーネットの多くを頼ってきたのだと思います。

例えばそれは、専業主婦の存在や多世代同居という形で。

例えばそれは、終身雇用と企業の安定的成長を前提として。

その前提のもとに、社会保障も作られ、セーフティネットが張られてきたのだと思います。

でも

都市部では孤立化が、地方部では過疎高齢化が、

そして政府部門の課題解決の限界が言われる中で、

そして企業の終身雇用という前提が崩れる中で、 今までとは異なるセーフティネットが必要とされているのだと思います。

困難に直面している人々の生活の場での課題解決をどう支えるか

そこに自らコミットメントしようという担い手をどう自然に増やしていけるのか


という課題は、ある種の普遍性を持っていると感じます。

だからこそ、南医療生協の事例は面白い。単なる復古調の地縁組織のリバイバルでもなく、しかしながら地域に根ざした取り組みだから。

地域福祉の担い手は、どこから生まれたのか。その条件とは何か。

その中身は、ぜひレポートを読んでいただければ、と。

…ちなみに、南医療生協については、この先、「(広い意味での)社会的投資」という文脈から、またレポートを書きたいなと思っています。また頑張ろう。 

兎にも角にも、お話を聞かせてくださった、南医療生協の関係者の皆様に感謝を込めて!

ぜひぜひ、お読みください。

リンク先はこちら。 

「地域福祉の担い手に関する一考察〜南医療生活協同組合の実践から」

2016年08月17日 | Posted in 過去ブログからの移行記事(2017年3月以前) | | Comments Closed 

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