公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの社外理事就任/そしてAさんとR香ちゃんのこと
今期から、公益社団法人 チャンス・フォー・チルドレンの社外理事に就任しました。
チャンス・フォー・チルドレン(CFC)との出会いは2013年度の社会起業塾です。
震災後産まれた同団体。
代表の今井くん、奥野くんと共に、この先どうやってインパクトを生み出していけるか、真剣に議論したのが思い出深いです。
社会起業塾卒業後も、アドバイザーとして団体の組織運営や事業展開について、時々相談に乗っていました。
前職にあたる三菱UFJリサーチ&コンサルティングの社会貢献プログラムでも、CFCは見事支援賞を受賞。
私にとっては元同僚にあたる前職社員の皆さんのプロボノ支援を得て、CFCは「東日本大震災被災地・子ども教育白書」を発行しました。
その発行お披露目記念イベントにも、ご協力させて頂きました。
世代間の貧困の連鎖を放置しない。
経済的な格差を、教育機会の格差とイコールにさせない。
そのために活動している団体です。(https://cfc.or.jp/problem/)
今の日本に、本当に必要な取り組みの一つだと思っています。お声がけは二つ返事でお引き受けしました。代表理事の二人を、しっかりサポートしていきます。
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2013年にチャンス・フォー・チルドレンに関わり始めて、最初に思い出したのは、大学生の時に出会ったあるシングルマザーの方のことです。
ごくごく個人的なストーリーで恐縮ですが。
どこかに書き留めておきたいと思い、ここに記しておきます。
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当時、私は大学生3年生でした。
山梨県内で一人暮らしをしていた私は、近所の大型店舗でアルバイトをしていました。
当時、時給は780円くらいだったかな。
奨学金はあったとはいえ、利子付き・貸与型・進学前提で就職の予定もなし。
当時景気は最悪で、田舎だからバイトの口も少ない。そんな環境で、そのバイトは貴重な収入源でした。
レジ打ちをしたり、重い灯油やブロックを運んだり。
冬は寒く夏は暑く、なかなか大変な仕事でした。
そのバイト先で出会ったのが、シングルマザーのAさんでした。
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中卒だというAさん。
バイトの合間に、大学ってどんなところ?勉強ってどうやってやってるの?とよく質問されました。
ある時、私はAさんに、「英語の勉強を教えてくれない?」と言われました。
Aさん、高校卒業資格を取ろうと、山梨県甲府市にある通信高校に通っていたのです。
彼女が通っていた通信制高校は、私が当時住んでいた山梨県都留市からは、片道1.5時間くらい。
通信高校とはいえ、時折学校に行く必要はあり、Aさんの覚悟を感じました。
でも中学でドロップアウトしたAさんにとっては、小学校時代に習ったことのない「英語」はハードルが高く。
卒業するまでおそらく2年くらいでしょうか。
私がAさんのお宅に週に1回通い、「アルバイト」として勉強を教える生活が始まりました。
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カーテンが無いから西日が暑い。
時々電気やガスが止まる、そんな団地の部屋の片隅で。
キティちゃんのシールが貼ってある、古いふるい折りたたみ机で。
Aさんとの勉強を続けました。
Aさんの4歳の娘、R香ちゃんは隣でお絵かきや塗り絵、折り紙を。
時々小さなかいじゅうに邪魔されながら、休憩しながら、Aさんとの勉強は続きました。
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「4歳のR香ちゃんが、中学に入るまでに、高校の卒業資格を取る。」
それが、Aさんの目標でした。
R香ちゃんには高校に行ってほしい。
いつか進路選択の時に、「高校に行きなさい」と言えるように、自分も高卒資格を取る。
「自分が中卒じゃ、説得力がないからね」
Aさんはいつも、そう言っていました。きっと自分を奮い立たせていたのだと思います。
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時折、東京ガスや東京電力の腕章をつけた係の方が、申し訳なさそうに料金を徴収に来ました。
小さな団地の部屋です。Aさんと集金係の方との玄関先のやり取りはよく聞こえました。
係の人が帰ると、Aさんはやけに元気な声で、「もうちょっとバイトの時給高いといいんだけどね~」と言ってみたり。
「水道だけは止まると困るからねぇ」と言ってみたり。
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朝の新聞配達と昼間の時給800円弱のアルバイト。日々成長していく娘さん。それにつれて増えていく経済的な不安。
端から見ていても、いかにもしんどい生活でした。
当然のごとく、アルバイト代の支払いは、滞っていきました。
それでも「高校卒業」に向けて、勉強は続きました。一番苦手な英語。そして物理・化学・数学…。
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私が大学卒業を迎えた春。
Aさんは申し訳なさそうに、「お金が貯まったら振り込むね。えりちゃんの振込先の銀行口座を教えて」と言って下さいました。
でも彼女が費用を工面するのが難しいことは明らかでした。
約束したバイト代が払えなかったことが申し訳なかったのでしょう。
東京に出たあと、Aさんとは音信不通になりました。
あるいはあと数年でAさんの暮らしている街を離れるであろう大学生だったからこそ、私に「勉強を教えて」とヘルプを求められたのかもしれません。
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チャンス・フォー・チルドレンと出会って、最初に思い出したのは、AさんとR香ちゃんのことでした。
2人は元気にしてるかな?
R香ちゃんは元気に中学生になったかな?
高校には進学したかな?大学はどうかな?
Aさんは苦手な英語は克服できたかな?
高校卒業資格は手に入れられたかな?
もうそれを知る術はありませんが、でもちゃんと覚えていたいと思います。
電気が止まって、夕方になると教科書が読めなかった冬のバイトの時間。
暑かった西日の差す部屋。
寒くても、灯油が勿体ないね、と言いながらフリースやコートを着て勉強したこと。
壊れかけたカーテンレール。
シールの沢山貼ってあった、古いふるい、傾いた小さな机。
Aさんはきっと、娘に自分と同じ境遇を味合わせたくなかったのでしょう。
経済的に苦しい状況であっても、教育こそが子どもの将来を拓くのだ、そう信じていらっしゃいました。
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「すべての子どもたちに夢を。」
「すべての子どもたちに機会を。」
チャンス・フォー・チルドレンのキャッチフレーズです。
自分の娘は今4歳。あの時のR香ちゃんと同じ年齢です。
シングルで、中卒で、時給の低い昼間のアルバイトで働き、学びながら、子どもを育てる。
Aさんがいかに大変だったのか。大学生の頃に比べれば、少しは想像できるようになりました。
貧困の世代間連鎖をこれ以上、放置しない。
経済的な格差を理由に、夢をあきらめる子どもを放置しない。
お声がけ頂いた社外理事、ちゃんと役に立てるように、頑張ります。
チャンス・フォー・チルドレンの運営はもちろん、その先でCFCが支える子どもたちの未来に資するように。
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